ながさき漫歩
第二回 眼鏡橋と石橋群
長崎市民の憩いの場所である中島川は、長崎市の中心部を流れる全長6q足らずの小河川であるが、17世紀に石橋がつぎつぎにかけられた。
日本初のアーチ形石橋として有名な眼鏡橋(国指定重要文化財)は、1634(寛永11)年、興福寺2代住持唐僧 黙子如定(もくすにょじょう)がかけたものである。
他の石橋は単円アーチであるのに対し、如定は中央に橋脚を設けて双円アーチとした。
これが水面にうつる優美な姿から眼鏡橋とよばれている。
1982(昭和57)年、長崎を襲った長崎大水害では、東新橋から大井手橋までの6橋が流されてしまった。
また眼鏡橋なども大破したが、1986(昭和61)年、眼鏡橋は修復され、流失した編芸橋・一覧橋・すすきはら橋などが復元され石橋群の景観を取り戻した。
もともと中島川は、川幅全体がせまいため、アーチ形石橋をつくりやすいという利点があった。
しかし、そうしたことをおいても、おおよそ町境に一つの橋がかけられ、短い流域にかくも多くの石橋があるということは、当時の長崎がいかに繁栄していたかを示すものである。
なぜならば、架橋当時の石橋は多くの場合、個人が私財を投じたり、僧侶が資金を募ったりして造り、公費ではなかったからである。
長崎電気軌道 賑橋電停より3分
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(山川出版「長崎県の歴史散歩」より)